おっさんの父もお嫁ちゃんに続き、他界した・・・
お嫁ちゃんが亡くなる数週間前(2020年10月頃)に脳梗塞で入院し、1年半の闘病生活ののち、2021年2月5日に亡くなった。
父の死についていろいろと思うところはあるが、お嫁ちゃんの死に比べて、順番も猶予もあったので受け入れる準備は出来ていた。母にしても、おっさんのお嫁ちゃんの死があったこともあり、比較的冷静な雰囲気だ。
ただ、今後徐々に一人で生活するにあたって、いろいろとこれまでの生活とは勝手が違ってくるだろう。そして、おっさんがそうであるように、都度悲しくなるだろうとは思うが、なんとか乗り切ってほしい。
父の他界について
昨今のコロナの影響で病院への訪問も制限され、面会もWebで行うことも多かった。患者にしてみれば、コロナとは言え、見舞いに来れないことへの不満もあるだろう。やむを得ないとは言え、なんとも歯痒い感じがする。父は死の間際で家族に不信感を抱いて亡くなってはいないか、もしそうなら、残念この上ない・・
死の直前では意識も朦朧とし、返事もままならない状況だった。そんな状況でも今の医学は生かせてしまう。見舞いにも行けないのに患者は苦しくとも生かされる。きっと医療関係者はこんな状況を日々見ながら、「もし自分が・・・」「もし家族が・・・」と言う想像をしながら仕事をしているのかと思うと、「ご苦労様です」と言う思いになる。
自分の死について
おっさんにはお嫁ちゃんは亡くなり、子供もいない。孤独なおっさんだ。決して珍しい状況ではないが、自分の死に際を最近よく想像する。お嫁ちゃんの死が自分の死をより身近なものとし、父の死が自分の死に方を想像させる。結果として、自分も近いうちにお嫁ちゃんや父のように亡くなる可能性は十分にある。いや、死ぬことを前提に生きることを考えないといけない気がする。
せっかく、今は生きているんだからやりたいこと、気になること、思い残すことが無いように日々を過ごして行かなければとつくづく思う。
10年先、20年先を見据えた目標、それも大事だろう。おっさんの年齢(2021年現在47歳)になったら、今日、明日の目標と言うか楽しみと言う部分に力点を移していくことも大事だろうと思う今日この頃です。
この考えを全世代に当てはめると子供なら「今日の勉強はしたくない」ってなってしまうだろうけど、おっさん位になると「10年後の会社の売上」よりも、「今日の晩飯」に注力する日を増やしてもいいんじゃなかろうか・・・と思う次第です。
最後に
これまで死んだことが無いので、死後の世界は解りませんが、死ぬまでを一区切りとするなら、生きている間は死ぬまでの暇つぶし、この暇つぶしの時間をできるだけ楽しく過ごして行きたいと思います。
お嫁ちゃん、お父さん、おっさんはまだもう少し生きれそうです。死ぬまでの間、もう少し楽しんでから二人に合流します。それまで、そちらの世界のガイドブックでも作って待っていてください。
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